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第3回|創造論という“物語”──本当に神がつくったのか?

考える者こそ進化する

こんにちは。
前回は「進化論ってどこまで正しいの?」という視点から、常識への違和感を探ってみました。

今回はもう一方の仮説──「創造論」にフォーカスしてみたいと思います。

創造論とは?

ざっくり言えば、「神がこの世界と人間を創った」という考え方。

キリスト教の創世記では、神が6日間で天地万物を創造し、人間を“神のかたち”に似せて造ったと書かれています。
似たような神話は、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、そして日本の神話にも見られます。

つまり、「世界には“始まり”があり、“意図”がある」というのが創造論の根本。

神話=ただの物語?

学校では「神話=おとぎ話」的な扱いを受けがちですが、果たしてそれだけでしょうか。

たとえばシュメール神話やエジプト神話では、人間が神によって土から作られたと語られています。
そしてその神々は、空から来て技術を教えた──なんて記述もあるんです。

昔の人々が、“理解できないもの”を神として描いた可能性はあります。
でもそれは、「事実を神話のかたちで記録した」とも言えるのでは?

科学が否定しきれない理由

実は、現代科学でも“生命の始まり”は完全には説明できていません。

  • 最初の細胞はどうやってできた?
  • そもそもDNAの情報って、どこから来たの?
  • なぜ宇宙の物理定数は「人間に都合よく」できているの?

これらの問いに、科学はまだ明確な答えを出せていません。

そう考えると、「神の意志で創られた」という仮説も、あながち無視できない。

“信じる”より“考える”という選択

もちろん、創造論をそのまま信じる必要はありません。

でも、神話に込められた“叡智”や“問いかけ”には、耳を傾ける価値があると思うのです。

たとえば──

人間とは何のために生まれたのか?
なぜ「愛」や「芸術」や「祈り」が存在するのか?

これらは、進化論だけでは説明しきれない「人間らしさ」の根本でもあります。

まとめ|創造論=信仰ではなく、知的仮説として

創造論は、必ずしも宗教的な“信じるか信じないか”の話ではなく、
むしろ「人間とは何か?」を考えるための問いなのかもしれません。

次回は、古代神話と宇宙人説の交差点──「アヌンナキって誰?」をテーマに、
さらにディープな世界へご案内します。

信じる者が救われるんじゃない。考える者こそ進化するんだぜ。

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